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椿と花水木-万次郎の生涯 上下巻:津本陽
2007年 07月 07日 |
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人は一遍は死ぬけん、怖がることないきに—鰹船に乗り
命を張って富を求めようと少年は水平線を見据える。
土佐・中ノ浜の貧家に生まれた彼が歩むことになる
破天荒な人生を、このとき誰が予想しただろうか。
時化の海での遭難、無人島漂着、捕鯨船による救出
そして異郷アメリカでの生活…時代を越えて
記憶され続ける“ジョン万次郎”の壮大なドラマが今、始まろうとしている。
(「BOOK」データベースより)

時代小説は好きですが歴史小説は久々。
たまたま上司に「いいよ」と勧められ読んでみました。
いやぁ。感慨深い。

それまでジョン・万次郎=居酒屋チェーン店でしか
なかったんですけどね(苦笑)

1827年土佐・中ノ浜に生まれ、奉公先での扱いに耐えかねて飛び出し
ずっと憧れた鰹漁の船に炊夫として乗ったものの
2日後に嵐で遭難し無人島(現在の鳥島)へ流される。
飢えと乾きと寒さに耐え、島で生き延び、143日後
アメリカの捕鯨船「ジョン=ハウランド号」に救助される。
時代はまだ鎖国中の日本。海外の船が日本に近寄ることもできない時代。
彼らはホノルルへと上陸し保護を依頼。
その中でも特に万次郎は献身的に働き、英語にも
興味を持ち、その態度に感銘をうけた船長ホイットフィールドは
万次郎をアメリカへ連れて行く。

アメリカでホイットフィールドの養子となった万次郎は
名門・バートレット校の試験にも合格、航海士としての知識を蓄える。
「わえがメリケで口すぎしてゆくにゃ、メリケの役に立つよりほかには
ないけん、勉強せにゃあかんぜよ」

仲のいい友達、ガールフレンドもでき学校も主席で卒業。
後にキャサリンとは結婚し1846年には捕鯨船「フランクリン号」に
乗りこみ3年の航海へ。
ところが航海から戻り知らされたのは妻の死。

絶望した万次郎は日本で待つ家族に会いたいという思いに駆られる。
ホイットフィールドが万次郎の才能を買い
一等航海士として今後も活躍して欲しい、今、日本に帰っても
異国の回し者と見られて首を切られかねないと伝えても万次郎は
「ここで暮らすほうがなんぼええか分からんでのーし。
ここは極楽ですらあ。ほんじゃけんど、ユナイッシテイトは
わえの国ではありませんろうが。
わえは殺されてもおのれの生まれた国で死にたいわのーし」
そして万次郎は帰国の為、ホノルルに残した仲間の分の費用も得るため
当時ゴールドラッシュに湧いたカリフォルニアに渡る。


と、こんな感じなのですが万次郎の簡単な経略は
こちらのサイトがとても詳しいです。

母親への思慕、家に戻りたいという思い、その為に努力を重ね
戻ったところで幕末の日本の彼への扱いは
まだまだ差別のある飛んでもない時代。

日本の近代化に尽力したにもかかわらずアメリカの文化に
慣れ親しんだ万次郎には風通しの悪い封建社会は
とても居心地の悪い世界。
それでも母に、自分の生まれた地への思いの強さ。

漁師でありながら武士へと出世した万次郎の賢さ、勤勉さ
実直さがとても心地よく、また
遭難から海外での生活、帰国後の生活とどのシーンも
とても興味深い。
何より万次郎のお国言葉がとても生き生きとしていて
物語りの中に惹き込まれます。

上下巻と長いのですが、長さを感じさせない魅力的な話で
あるとともに、長いゆえに、物語が終わりに近づくにつれ
万次郎との「別れ」を寂しく感じた本。

彼は日本に帰ってきて本当に幸せだったのかな、とか
アメリカにそのまま残った方がよかったのでは、とか
でも、ペリー来航で慌てふためいていた幕府に
万次郎の帰国は、日本にとっては幸運だったんだろうな、とか。。。
たった一人の人間の行動一つでその後の時代が
まったく変わっていたと思うとそれまた凄いことで。。。

またぜひ再読したいです。
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